2009年5月8日(金)
オスティア・アンティカ遺跡
ポンペイより広い遺跡で、下半身がヘビのようなモザイク画がはっきりと残っています。
レンガの上をしっかりと塗りつぶしてあるのは、人間はレンガ建築は上が壊れて本当はもっと屋根もあったと思うので、最初からこの形=人間が住んでいたのでなく、イシジン用の地下都市で、背が低いことをあらわしている。
2009年5月7日(木)
掘りかけの地下都市の遺跡
ここを撮ってほしいといってきた場所です。
ポンペイの近くの遺跡で、ポンペイもこのような地下にあったことを忘れないでほしいということです。
すなわち火山灰で埋まっただけでなく、イシジンのための地下都市だったということで、火山灰の黒いのは一部だけ?のようです。
2009年5月7日(木)
ポンペイの祭壇
このテーブルの上で人間になろうとおもうイシジンの原子が集まって人間の形になった。
それを石柱のイシジンたちがエネルギーを送っていた。
後ろにベスビオス火山が見えます。
2009年5月7日(木)
ポンペイの花
ここの遺跡の部屋の跡にだけ咲いていた花。
橙色のは人間が生まれたことをあらわし、紫色は人間が死んだことをあらわすそうです。
2009年5月7日(木)
石の粉を造る
これは穴に棒を通して回し、小麦を粉にするものと思ったのですが、重いので人間だけでは到底回せないけど、狭いので動物が引くこともできないと思っていました。
帰国してから「固くなったイシカミを粉にするもの」と伝えてきて、その後、石柱の思いもよらないことと関係していることもわかりました。
ポンペイとオスティア・アンティカ遺跡にもありました。