2008年10月18日(土)
伊勢神宮の石垣
このような巨石で作られていた山城だったようです。
98年に見た時は、カゴメ紋が彫られた苔むした石灯籠が境内にありましたが、全て取り払われ木の灯篭になり、カゴメ紋も全く消されていました。
遺跡のイシジンであり、歴史的に大きな意味のあるカゴメ紋の石灯篭を公開してほしいと思います。
http://sora.ishikami.jp/jhistory/index.php?id=2006101315212...
では刀は納めていないと石田さんは言っていましたが、チャネリングでは刀を納めた?と。
現実にはどうかわかりませんが、その後、戦争が起きテロがひどくなっていったことは事実です。
2008年10月18日(土)
踏まぬ石の前の石段
踏まぬ石から目をそらすために向かいに社(別宮、荒祭宮)と石段を作り、杉を植えてこちらのほうが立派だと思わせたようです。
2008年10月18日(土)
伊勢神宮、踏まぬ石
ソラらからの情報ではムウラの頭と知らされた。
本当は長方形でシリウから来たと伝えられた。
ムウラのことはヤマタイコク物語参照
http://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html
2008年10月18日(土)
倭姫宮の遺跡
低いが幅広の石垣で、中国などの石垣に似ている。
2008年10月18日(土)
倭姫宮
ヤマトヒメとは発音できず、倭の姫=倭のものであったと。
神話のヤマト姫はムウラの遺体をばらばらにしてチャネリングのままにあちこちにばら撒いたのは、支配星に支配された巫女であったが、名前だけ取られたと。
ここも小山のイシカミの遺跡のようで、遅くに降りてきた子供のイシカミのようです。
この近くに神宮の資料館や古文書館がありますが、それらは支配星のマのものが書いたということで、とてつもないエネルギー体がいました。
蝶の羽のような形の雲で、ベガが大きな力を与えていたとも伝えられました。