ソラ画像

2008年3月31日(月)

生石神社の足元?(以下読者の方より)

 

一年中同じ水位なのは、この巨石はイシジンでお汁が必要だったから。
鳴門の渦潮の水を地下で濾過したので満たしていたが、水にまぎれてムーのダイジャが入り込んで、この下にダイジャとなり、神社を崇める人によって巨大なエネルギー体になっている。
巨石は水の中に浮いたようになっています。
注連縄はダイジャに巻きつれているように思わせるように支配星が教えたのです。


2008年3月31日(月)

生石神社の背中

 

以前にTVがこのような時に、この巨石に気づくと言って来ています。


2008年3月31日(月)

生石神社の丸石?

 

チャネリングで丸石を見てほしいと言ったのは、この注連縄をイシカミはダイジャと思っていたからのようです。
人間が見ることでただの藁であり、火で燃えるイメージをしてヘビの締め付けを取り除く。


2008年3月31日(月)

生石神社

 

TV型にくり抜かれた巨岩。
御位山の石で造られていると言われているのは、分身の岩の塊がここまで来て、原子たちが手を離してこの形になった。
イースターのイシカミと友達で、モアイのイシジンと同じで、ダイジャをやっつけるために巨石のイシジンになったが、お汁を得るために海とつながったのでその水を通してダイジャが来ていじめていると。
一年中水が枯れないのは、鳴門の海の水がろ過をして地下道を通ってくるからと伝えてきた。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080328232320

廻りは大きなひとつの岩で、その一部がこのように陥没して長方形の巨石になっています。
長方形はシリウがイシカミに教えたからです。
エチオピアの地下に掘られた十字架の教会を同じ形式で、形として残るイシカミの原子以外は、手を離したので出来上がりました。
廻りは石で、手前のは小さなイシジンのようで、作品を見ています。(古くても新しくても
その形にさせたようです)


2008年3月30日(日)

スミソニアン博物館のモアイ(読者の方より)

 

大きさが良くわかります。
このような大きな石像をわずかな人数で山から運んでこれるでしょうか?
(2万人も住んでいたという説がありますが、ほとんど耕地のないのに食べ物はどうしていたでしょう?)