ソラ画像

2006年1月6日(金)

アッピア街道

 

ローマから750kmもの石畳の道路で、その一部の両脇は小さな薄いレンガを積み重ねた分厚い塀が延々と続きます。
石畳と塀、それだけでもいかに膨大な数の石やレンガが使われたか、想像するだけで人間業ではできないことと思えます。

この近くに、地下に全長12kmの地下墳墓(カタコンベ)と呼ばれているものがありますが、お墓にするだけのために、一気に10m以上深く堀り下がったり、延々と12kmもの地下道兼地下室を作るでしょうか?
地下には大小さまざまな棚があり、ここで羽根のあるイシジン(天使)が作られ、支配星に言うことを聞かないとココに戻すと、脅かされたというのに、ふさわしい場所と思えます。

http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/kai18.htm


2006年1月5日(木)

ローマの水道橋

 

今回一番見たかったのがここで、想像以上の大きさでした。
はるか向こうの山から、ただ水を得るために、巨大な石で組み立てられた水道橋が作られたのですが、この場所で終わって?います。

巨大な石を組み立てたこのような水道橋が、ヨーロッパやアフリカ、インドなどのあちこちにあるようです。
http://www5.ocn.ne.jp/~noguchi/tunisia.htm
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/french_art/06/
http://4travel.jp/traveler/biscuit/album/10043339/
フランス
http://www.franceinformation.or.jp/languedoc-roussillon/nim...
スペイン
http://www.asahi-net.or.jp/~ut5m-nmtm/es/es_nikki/tarragona...
チュニジア
http://www1.tmtv.ne.jp/~hsh/Tu10-romazen.htm
アルジェリア
http://www.cqnet.jp/sahara4300/sahara004.html

足をあらわす巨人がクラゲのように増殖して固まり、人間のために水を引こうと思ったそうです。
http://www.sankei.co.jp/news/051215/kok022.htm
一夜にして橋ができたというのも、意味がわかります。

人間が水を得るために創るのであれば、簡単に低いところを流れる水路を作り、水の集まるところに浴場を作るはずです。


石が組み立ててあると、人間が作ったと間違われるのになぜ、そのように組み立てた水道橋にしたかと聞くと、同じ考えの原子たちが大勢集まると、ひとつの形になれるが、少しずつ思いの違う原子たちが集まったので、石を組み立てる形になったそうです。

下肢をあらわす岩(ディリケートアーチ)の仲間でもあり、凱旋門なども、より立派な形に表して残ったのは、後から降りてきたイシカミたちだったからのようです。

近くのタルクィーニアの駅の近くには、これより小さな、まるでコンクリートでできたような水道橋が突然あらわれ、数百mで森の中に消えて行って、ミニバスに乗っていたので行き先はわかりませんでしたが、小さな巨人たちが作ったようです。(地名にチビタベッキアというのがある)

ローマからのアッピア街道の分岐の石畳がココで終わり、途中から支配星の嫌がらせの松の並木も続いていました。


2006年1月5日(木)

コロッセオ

 

先回来た時は、やはり十戒のシーン(剣闘士の争いやキリスト教徒がライオンに襲われる)を思い出して、入り口しか入れませんでしたが、今回はゆっくり見れたけれど余計な工事がしてあり残念でした。
映画では中央が平らで、いろいろなことが行われたという設定でしたが、実際は、地下の小部屋があり、どう考えても平らで大きな広場ではないので、それを平らなイメージにするためのようです。

後から降りてきたイシカミたちが作ったもので、意味がなかなかわからなかったのは、あまり良い意味で作られたのではないからでした。

行き止まりの階段(座席として座っても前のレンガの手すりで何も見えない)や小石交じりの坂道(いずれも高さは2mくらいだけ)が、いわゆる観客席に何箇所かあるのは、人間が階段を上がったり、坂道を登るのに、どのような肉体が必要か、いわば人間の体を進化をさせるための、肉体改造研究所のようなものだったそうです。

そこで人間になろうと集まった原子たちでも、そのような訓練があるのは嫌だと思いさっさと原子に戻ろうと思うグループの人間が、地下の小部屋に自ら行った(亡くなった)そうです。

そして強い人間として生きたい、争いを楽しみたいなどの人間が残っていったようです。
そして争いを楽しみたい人間を育成していたのが、地下墳墓で作られた羽根のあるイシジン(天使たち)で、当時は支配星がすでに強い力を持っていて、言うことを聞かないと、地下墳墓に戻すと脅かし、言うままにさせたようです。
地下墳墓はほとんどがその目的で作られたようで、カッパドギアなども同じ目的のようで、それで中東は争いが多いのかとも思います。
そう思うと、中国の兵馬俑も兵隊ばかりで納得がいきます。


2006年1月5日(木)

バチカンの広場

 

巨大な石柱の上に石像が立っていているのは、石柱が巨人をあらわし、それがイシジンの形としてあらわしているようで、夜中に言葉になって
「ムレ、ムレ、・・・(人間の) 群れを見ていたものです。
誰一人、(石像を) イシジンということに気づくものはいませんでした・・・・・」
と、法王の説教には熱狂的?に迎えていた人々のことを、皮肉って伝えてきました。

広場にはタコクラゲ型の噴水があり、渦巻きと悪相に似た彫り物がありましたが、この場の意味を表しているようです。

バチカンの中は、数10年前に来た時は、貧しい信者から集めたお金でこれほど華やかな贅を凝らした教会はないと思っていましたが、今回は照明が落とされているのかその光りを感じませんでした。

ちなみに、死者との交信ができるというのでイエスは有名になったが、ここへ来て、これを大切にしなければいけないと言ったので、権力者は怒ったとも。


2006年1月5日(木)

傷ついたイシジン

 

イシジンはイシカミの人間と伝えられ、デイダラボッチのようなものと想像していましたが、石像がイシジンの遺体だそうです。
以前見た時、大理石の皮膚が生きているようで、布のカーブなどこれほど上手に創れるのが不思議でしたが、納得できました。

これはエデンの園で、新しく創られた人間をこれらのイシジンが世話をしていましたが、人間が増えすぎて、食べ物が足りなくなり、人間同士で争うので、世話をしていたイシジン同士も争うようになり、その悲しみを人間に教えるために、このような形で残したそうです。
ちなみに有名なピエタ(母親が倒れた息子を抱いている)も同じ意味ですが、キリスト教がマリアをイエスに摩り替えたそうです。

ちなみに人間が作ったイエスの物語の石像もありましたが、比べ物にならないお粗末なものでした。
ミケランジェロなども絵は描いたが、石像は作っていなく、人間が創ったと思わせるための伝説のようです。

薄いジョーゼットのような布は、イシカミのお汁で作ったそうですが、
現実にそれを思わせるものがありました。
http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/lebanon/guide/jeita.html
の”とろろコブ”のような鍾乳石が、布をあらわしているそうです。