ソラ画像

2017年12月31日(日)

富田林 龍泉寺 庭園

 

国指定名勝と書かれていますが、すたれた感じです。
蘇我馬子を聖徳太子が倒した後竜が降りてきて名前を付けた?
この池にまさにリューが降りたそうで、リューはミナノコの集団なのでソラにあがりたいという言葉が出てきて切り刻みました。
その時参加者のほとんどが、冷い風を感じソラにあがったと思えました。
なお、参道にはたくさんのハランが植えてありましたが、ミナノコの大集団のミナノモノをあらわすようです。


2017年12月31日(日)

富田林 龍泉寺 石塔

 

龍泉寺は寺の建物のすぐ横に、鳥居があり神社がありますが、その横にあった石塔で、イシカミをあらわします。
その後思いもよらないことに、ここに蘇我馬子の屋敷があったと伝えてきました。
以下のことは、伝えられたこととは大きく違い、まだはっきりとはわかりませんが、、、。

蘇我の稲目は朝鮮の青瓦台の裏の岩山から来たイシジンで、物部氏とは、同じイシジンで仲が良かったので、娘が嫁いだ?
蘇我馬子は物部氏の弟で、その後プレアに支配されて、プレが送り込んで蘇我のイルカと名前を付けた?


2017年12月31日(日)

富田林 龍泉寺

 

https://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=201712241...
の河南町ワールド牧場から見える小山が気になって行ってきました。
富田林(トンダバヤシ)とは、聖徳太子が物部の守屋を誘ってだまし討ちした時、
「飛んでい火にいる・・」と言ったことをあらわし、近くに千早赤坂があります。
推古天皇の時代、蘇我馬子が建てたと書かれていますが、馬の居宅だった?


2017年12月19日のお知らせから
#)以前見たTVで千早赤阪村の風景がとても気になっていました。
それは、男性の肩に乗った5,6歳の男の子が七支刀を掲げているワンシーンですが、その後“千早赤阪村”が気になり、出かけていっても謎が解けませんでした。
チ・ハヤとは、血が早く流れる、アカ・サカ=赤い坂と言う意味で、やはりそこで物部氏が刺されたということをしらせているようでした。
ソラからの情報では、物部氏は聖徳太子に戦争をしないでと、交渉に出かけたが、そこで切り付けられて、僧侶の服装をして逃げ帰ったが,春日村で倒れて、その後その男子と一緒に、私市丸山古墳に葬られたと知らされていました。
聖徳太子が使った刀は、大国主がアトランティスから持ってきた草刈り鎌を焼き直して日本刀にしたのが、熱田神宮に奉納されている大刀で、タケルノミコトが猿投山へ行く道中、熱田神宮に置いて、熱田姫に守らせたと。
タケルノミコトはイシジンの巨人で、相撲取りの部下が猿投山の近くの能見神社(相撲神社)に祭られた。
能見神社とは後からノミを連想させ嫌がらせでつけられた名前。


2017年12月31日(日)

河南町 高貴寺 13重の塔

 

入ってはいけないと書かれていたので、何かなと外から見ると、13重の塔と大きな百日紅の木がありました。
ソラからの情報では、13重の塔は、イエスの13人(バーソロミューを加え)の弟子をあらわし、生駒山のは、イスキリのお墓と。
その横の小さいのは、イスキリについていた少年の、バーソロミューのお墓と。
(ソラからの日本の歴史)
サル・スベリは、サル=天皇も滑るという、意思を表しています。


2017年12月31日(日)

河南町 高貴寺

 

タケルガ峰の麓にあり禅の修行をする?お寺で、女人禁制という看板が残り、入門料がいります。
左側の小さな石段からは、入ってはいけないと書かれています。