ソラ画像

2014年12月26日(金)

宝塚市 袂岩(タモト・イワ)

 

読者が道に迷ってたどり着かれたそうですが、この石が呼んだようです。
名前の通り袂に入れていた石を、鷹狩りに来ていた将軍に投げつけたのが、このように大きくなったというのは、イシカミは粘菌と同じで増殖することを知らせたようです。
前と裏の石の表情が違いますが、こちらは裏でようやく見つけてくれたと笑っています。


2014年12月26日(金)

三田市羽束山 

 

頂上にはたくさんのこのような岩があるようですが、これを紹介してほしいそうです。
ミナノコがたくさん集まった鳥イシジンでもあったようで、羽束山から流れる羽束川には、以前にも来てほしいということで行くと、塩を含んだような変わった水で、石も変わっていました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=201304061645...
そしてその羽束川の河原の石をホシノミナ神社の前でストーンサークルを創ってほしいと言葉になりましたが、地元の一部の人に反対されて、君の尾山に創ってきました。
その後3・11がありました。
羽束川でソラの検索をするとたくさん出てきます。
死海とつながっていたのも知らされていましたし、ここのサンショウウオが羽曳野市に行っていたのもニュースになりました。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20140905221455


2014年12月26日(金)

三田市羽束山 キジ

 

こちらの石室ではキジが創られたようで、「キジも鳴かずば撃たれまい」の語源になったキジです。
山彦が殺された後も山彦の子が隠れ住んでいて倭の国が細々と?続いていたのを徹底して潰そうと、ヤマトが攻めてきた時、キジが鳴いて知らせたということです。


2014年12月26日(金)

三田市羽束山

 

先日三田市の八王子神社へ行った時、
「羽束山へ登ってほしい。そこの石の作品?を見てほしい」
と名指しで言葉になっていました。
名指しをされた方は八王子と縁があり、早速登ってくださった画像です。
思わぬことにこの石室?でカラスが創られて、そのカラスが倭の国に行き、白道路の三叉路に立って道を教えていたそうです。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20040617172756


2014年12月24日(水)

コロッセオ【2022年8月4日追記】

 

最初のコロッセオは少人数の教室のようです。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200804051003...
少しの座席がありますが後ろの人間に比べるととても大きく、巨人用のようです
小さな人間が見物するにはあまりにも建物が高すぎますし、中に入ってしまうと壁があるばかりで中央は何も見えませんでした。
【2022年8月4日追記】
人間はコロッセオでは剣闘士の戦いのための施設との思い込みでこのような工事がなイシカミたちの目的と
全く違うようにされていっています。
後年、この施設を利用して!!!支配された人間が残酷な戦いの場に下にすぎません
昔の画像を見てどうして、考えを改めることができないのでしょう。
*)1800年代のコロッセオ
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080405100...