ソラ画像

2008年9月5日(金)

(清五郎)稲荷山古墳(篠山)

 

隣が崩れて石室は土で埋まったようです。
長いのは木の根ですが、やはりここもエネルギー体がいたようで、切り刻んで欲しいと。
奥行き2,5m、幅3,7m


2008年9月5日(金)

(清五郎)稲荷山(篠山)

 

稲荷山古墳は前方後円墳で、綾部の丸山古墳のように一気に頂上にあがりますが、尾根は細長く平らな道があり、この山の岩だけこのような変わった植物がはえています。
ここのイシジンはこのような羽が生えたイシジンだったことをあらわしているそうです。


2008年9月5日(金)

(清五郎)稲荷山古墳(篠山)へ行く道

 

先回紹介した雲部車塚古墳の近くにあり、(清五郎)稲荷山の裏山の頂上にあります。
崩れて入り口が小さくなっていますが、ここで小さな羽根のあるイシジンを創ったそうで、人間と言うより埴輪に近い形だったそうです。
そのイシジンは飛べないけど、身軽くて山を自在に歩けたそうで、飛べないイシジンは相撲取りのように強いのを、麓のストーンサークルイシジンの原子が分解し、集合したようです。


2008年9月5日(金)

【2014年8月21日追記】石くど古墳(篠山)

 

【2014年8月21日追記】
「(私市丸山古墳が崩れたのは)意思になったモノが知らんふりをされるので知らせたのです。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=201408192231...
殺された物部のモノが来ていたのです。
(春日富士の麓の神社の巨石が物部氏の亡きがらと伝えられたが)その一部の原子が
ストーンサークルで人間となったのです。
その人間が(私市丸山古墳の)お墓に入っていたのです。
そのストーンサークルの岩が、(自ら動いて)積み重なって石くど古墳となったのです。
そしてその古墳で馬が創られたのです。
そこでたくさんの馬(イシジン?)が創られました。
武具の塚は物部の若者が使うつもりでしたが、(蘇我に)敗れたので使われることがなかったのです。
蘇我に負けたので全ての宝物がヤマトに持ち去られたのです。
それらの宝物は舘の屋敷にあったのです」
「(埋葬された物部の分身は)柔らかな人間の肉体でした。
春日富士の麓のイシジンの一部が、ストーンサークルで人間となったのです。
山彦が仕事をしていた所*から出てきたイシジンが物部でした」

*)篠山市の雲部の車塚
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200911291832...
*)山彦が仕事をしていた所に今は三柱神社の跡がありますが、その横の谷から出たイシジンが物部氏と言うことです。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20020908090422
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20040312143510
*)春日町阿陀岡(あたか)神社の物部氏の岩
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=201102282152...

アイルランドに沢山あった巨石古墳とよく似ていて、やはりここでも馬が創られたと。
物部の守屋がここで創られた馬に乗ってヤマトへ行ったと伝えてきました。
この近くに新宮古墳の円墳があります。


2008年8月27日(水)

有馬富士の麓の公園

 

リュージンがいるのでやっつけて欲しいと言ってきたイシカミ(向かいの山)
ガマの穂は池のリュージンをやっつけるこん棒だそうです。