2008年2月13日(水)
夢に出てきた土管
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080125223127
夢ではこの土管に中くらいの魚やカニ、ウナギなどがいて、手で掴めそうだと思っていました。
夢の意味は今日のお知らせで紹介する予定です。
実際見に行って同じ場所に土管があったのには驚きました。
木が生えて山になっている奥は、子供の頃には結構広い畑でした。
2008年2月12日星原の土管に魚などが沢山いた夢の意味を聞いていました。(ソラ画像参照)
その意味は「シオの水(海水)になるまでに(川の淡水で)星たちの思いを形にしたことをあらわしたのです。
海に行くまでに魚(鮭やウナギなど)が生まれたということです。
カニや魚は最初に川で創られたということです。
いて座の王が(星原の)川で動く(プランクトンより)大きなモノを創ろうと思ったのです。
いて座の王(の一部)が星原に降りた時、廻りは平野でした.
(大和があらわれので、ホシノミナが降りてきたという事実を守るために後からイシカミが降りてきて、星原を小さな谷間の村にした)。
その平野の川を創り、そこに魚やカニを形であらわしたのです。
そしてそれらの魚が海に行き、魚を見た海のイシカミの原子が真似をして海の魚を創ったのです。
十勝沖のイシカミはプランクトンを創っていたのですが、もっと大きな生き物を創ろうと思ったのです」
「輪になることが肝心のことなのです。
水の持つ大きな力でイシカミの原子が手をつないで思いを形にすることができるのです。
水の力でなぜ新しい形が創られるかというと、輪になるために手をつないでいることを、水はH20の形であらわしているからです」(0=輪、H=手をつないでいる)
2008年2月13日(水)
星原の旧子供の家
全く思ってもいなかった星原の小さな家のことをチャネリングで知らせてきました。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080210000325
以前は子供の家として、本当に小さな家がありましたが、今はこのような村の建物になっています。
キミヤマ(城山)の真向かいにあり驚きました。
長方形の家は神社の隣の集会場で、子供の頃そこで雨宿りをしていて、一度に5,6本の稲妻が降りるのを見たのを今も鮮烈に覚えています。
2008年2月13日(水)
星原の横穴
これはいて座の王の一部が降りたと伝えられた小山の裾野にあり、周りには家はなく、離れたところに今はなくなった白木家の本家がありました。
星原にもこのような横穴が5箇所(一箇所は崩落)ありますが、遺物がなかった(徹底してヤマトに破壊された)と言うことと、芋穴として利用されているので全く遺跡として認めていません。
(この時は穴の中に入らなかったのですが、後程、同行者さんたちが入られ、割と広かったようです)
1998年に綾部市教育委員会から発行された【綾部市遺跡地図】には、吉美のどの村の遺跡も多く記録されているのに、星原だけは全く無視をされ、有岡との堺の山の《星原城跡の城館跡、主郭、堀切》と記録されているだけです。
【2021年9月4日追記】
完全に崩壊していますが、この時は地蔵の石像はなかったのに、ここも仏教で支配しようと思ったのか後から置かれたようです。
https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20210904232...
2008年2月13日(水)
太陽に雪だるま?三田にて
今年は猛暑ではない?
(ホテルからで下部は窓ガラスに写っている模様)
2008年2月7日(木)
いて座の爺や?と五天山
高い山は手稲山について降りた爺やのイシカミと言ってきた手稲山の近くの山で、それがこのような雲で知らせているそうです。
手を広げたようで、胸の部位(=胸腺の位置)が見る間にあかるくなってきたのも意味があるようですが、今のところその意味がわかりません。
真ん中の手前の雪をかぶった横顔のような段々山が、日本のピラミッドになりたかった五天山。