由良の戸

 

「平和について・ミナツキサン」NPO会員 A.K

京都府の綾部のお祭りにミナツキサンというお祭りがあるそうです。そのお祭りの由来はとても古く、それは倭の国の時代にもさかのぼるそうです。「ミナツキサン」というのは「山のみなさ〜ん、海の者が着きましたよ〜」というのが語源だそうです。その昔海の向こうから定期的に交易をしにやってきた人達がいたそうです。倭の国の人々はその交易が楽しみだったそうです。

 

「ミナツキサ〜ン!」

その合図で人々は由良川の川原に集まり、待ちに待っていた市の日「ミナツキサン」が始まります。人々で川原が一杯になり祭りのような賑わいになったそうです。

 

ぼくはその時代のミナツキサンを思い浮かべてみました・・・

その時代にはおそらく貨幣というモノは流通しておらず、モノとモノの交換でその市が成り立っていたのだと思います。海の向こうから来た人々も、倭の国の人々も、この日のためにそれぞれ自分の自慢の一品をそれぞれ持ち寄り、それぞれその価値と見合ったモノとモノを交換し、それぞれお互いが損も得もなく、ただそこにあるのは、その品物を手にしたそれぞれの喜びで、その喜びを味わうために、人々はミナツキサンに集い、楽しんで、戯れている光景が浮かびました。「いや〜いいモノを手にする事ができましたよ。また今度たのしみにしてますよ〜」と・・・このミナツキサンが終わり人々はそれぞれの生活の場へと帰り、次のミナツキサンまでその喜んでくれた人の顔を浮かべながら、それぞれモノ作りに励んだ事と思います。

 

ココには自分さえ儲かればいい。人をちょいと騙しても自分の懐だけ温かくなればいい。というような気持ちは無かったのだと思います。ただ、ソコにあったのは「お互い人間として喜びを分かち合おう」という気持ちしか無かったのだと思います。平等な喜びの気持ちだけがそこには存在していたのだと思います。

 

実は平和ってすごく簡単な事なのだろうと、ぼくは思います。「自分さえ」というのが自分の中から消え去った時、それが訪れるのだろうと感じました。