考察いろいろ

実は、ここを守っている方(70歳)が子供の頃、神社の人がどうしても後世に残したいものがあるから
山を見せて欲しいとやってきてこれを見つけて、それ以上風化して消えてしまわないように深く彫り直した
らしいです。その神社の人がくる前は、これほどはっきりとは見えず、ミミズの這ったような跡があるなーと
思っていたそうです。「てんのう」という呼び方が最近になってからという説もあり、文字全体が古代からの
物かどうかはわかりませんが、この遺跡の下にペトログラフ岩(数千年前)があり、上部にも妙見岩という
星座信仰(縄文時代)に関係がありそうな岩があり、ひょっとすると神代文字が書かれる以前から
このあたりが聖地であったのかもしれません。

この神代文字岩の標高で100mくらい上下にペトログラフ岩があり、ホームページに載せていますが、
下側の岩には何かを流したような窪みが岩にあります。上部の岩は妙見岩(北斗七星)と呼ばれているそうです。
教科書には全く出ていませんが、縄文時代の遺跡の特徴として、特定の星の配列を地面に投影している
という説があります。実際にその発想で遺跡は的確に見つかるそうです。遺跡といっても特徴的な岩や
山だったりする場合もあります。ちょっと前に、エジプトのピラミッド群も星座を投影したものだというテレビ
番組がありました。(ピラミッドが火星にもあるというもの)

この方は現役の頃製鉄の仕事をしており、この近くにどうも製鉄遺跡らしいものがあるようなことを
言っていました。鉄の使用は、実は縄文時代からあったのではないかともいわれています。
ここや岩手の釜石山中の遺跡もそうかもしれません。正倉院には岩手県で作られた刀が保管されて
いるそうです。神武の東征といわれているものが、実は鉄の技術を奪うためのものだったという説もあり、
ここに来たときにそのことがふと頭の中に出てきました。

ここは、そんなことをつらつらと考えさせられる場所でした。
 

縄文時代以前の遺跡は、それぞれが単独では存在しているのではなく、何らかのネットワークになっていると
思われます。また、小さいグループが集まって地域を越えて日本全土を結んでいます。
もちろん国を越えているだろうことは容易に想像できます。
 



おしまい