ソラ画像

2017年3月29日(水)

四隅突出の角

 

実際のビジョンは極小さなイシジンのようでした。
“白黒の画面で、まず最初は沢山の白黒でいろいろな形の小さな石が一面に平地にあるが、それらが次第に消えていく。
次に、手前の通りでは小さな白黒のイシジン?がたくさん左側に向かって歩いている。その向こうは少し斜面になっていて、そこにも沢山の小さな白黒のイシジン?が立って見送っているが、それらが最後には石に変わっている。黒は薄い黒です。”
意味は
「四隅突出の角から、このようにして、知恵を授けられたイシカミのミナノコたちが出て行ったことを知らせたのです」


2017年3月29日(水)

ビジョン

 

 

※この記事は会員用です。読者の方のホームページでも引用等はしないでください。

 

意味はイシキの世界のことのようで、現実はわかりません。
「喜んでください。
悪者の星が分身をたくさん作って離れて言ったので、小さくなったということです」
その後、横向きの太めの黒線が端から消えていく。


2017年3月27日(月)

与謝野町立古墳公園の埴輪資料館 大風呂南1号墳

 

この公園の入口には「タニハ」のいわれが詳しく書かれています。
綾部市を含む丹波(タンバ)という地名は明治のころより、明治政府の指導のせいか、より「田舎」としても侮蔑の歌などがあります。
ウィキによると、「タニハ=田庭」からきているとも書かれていますが、
とても”広い田の庭”のようであった、というのは、ソラから伝えられている倭の国そのもののようです。
すなわち、倭の国の時は、広大な平野であったが、ヤマトに攻められてから、沢山の小さなイシカミが降りてきて低い山になったので、山國になったと伝えられています。


このような土器や鉄器が出てくると古墳と認められますが、何も出てこないとただの小山と思われています。
この古墳も今は埋め戻され木で覆われているでしょう。
何も遺物を残さない古墳もたくさんあったと思います。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~mt2000/tango1.html
さんに、丹後半島などの古墳がたくさんの画像で紹介されています。


2017年3月27日(月)

与謝野町立古墳公園の埴輪資料館 大風呂南1号墳

 

右下の土器は初めて見る形です。
ガラスの釧は立派です。


2017年3月27日(月)

与謝野町立古墳公園の埴輪資料館 土器の模様

 

ここは二度目でしたが、初回時は蛭子山古墳(ヒルコヤマ)と読んでいて、ヒルのイメージがあり、あまり良いイメージはしていませんでしたが、アトたちの一番最初の形ということで、よく形に残してくれたことをお礼を述べてきました。
原子たちが、最初に手をつないで、小さな〇を創り、それが並ぶことで最初の具現化の形ということを知らせているようです。