ソラ画像

2010年3月28日(日)

松江大本教の敷地の壊された石碑

 

とても大きなものだったと思われます。


2010年3月28日(日)

松江大本教の敷地の石人

 

出口オニサブロウが宍道湖の近くのこの小山の麓の大本教の施設で捕まって、それから真珠湾攻撃が始まったと読者から知らせがありました。
この境内には大きな石碑(イシジン)がたくさんありました。


2010年3月12日(金)

壁に溶け込む天使、バチカン、扉の番人の天使【2018年10月6日追記】

 

【2018年10月6日追記】
https://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20181006121831
【2012年12月25日追記】
イシジンの体の半分が壁に溶け込んでいます。
エジプトの無数のヒエログリフなどの模様は浮彫りになっていますが、それらのイシジンが壁に溶け込むというビジョンを、エジプトに行かれた読者が見られて知らせてくださいました。
その後この半分埋まった石像に気付きました。
イシジンも壁の同じ原子たちの集まりで、シリウスの関係するシリコンの成分が多いということがよくわかります。


2010年3月12日(金)

クフ王のピラミッド

 

Iさんの提供
このような大きな巨石が320万個積みかさねられたピラミッド。
このような巨大な岩を、小さな人間がどのように?、どこから?切り出し、どのようにしてこの数を積み上げたでしょうか?

ソラの情報では一番下にシリウから教えられて、四角のイシカミの体の一部を並べて、その原子たちに一斉に増殖をさせて積み上げたと。
王の間などがあるのは、中までこの石が積み重なっていることを見せるため。
人間が登って中まで見れるように、石が柔らかなうちにオベリスクで突き刺して造っておいた。
石箱は地上でイシジンを創るために使われていたのを、イシジンの巨人が部屋の中に入れた。


2010年3月11日(木)

クフ王のピラミッド

 

Iさんより提供
人間は助け合って生きて行くことが大切と、イシキは二人の肉体を送り出していることをあらわしている。