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2009年6月14日(日)

福知山、牧正一古墳

この古墳の下にはいくつかの丸く加工した石が放置してあります。

2009年6月14日(日)

福知山、牧正一古墳

羨道は埋めてしまっています。

2009年6月4日(木)

オスティア・アンティカ遺跡

石の粉をつくる石器
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200905070339...
これで粉にされた石の粉をこの石器の容器で混ぜ合わせて、いろいろな大理石の色や模様を作り出した。
そのいろいろな大理石の石柱や床がバチカンなどで使われています。

2009年6月4日(木)

オスティア・アンティカ遺跡

丸い卵のようなのは、トルコやヨルダンでよく見ましたが、イシカミの原子
をあらわすということでした。
そのイシカミの原子が、シリウの知恵で、長方形のレンガで表すようになったことを知らせています。
このレンガは、張りぼて大理石の中に、さらにたくさんあるようですが、これらのレンガは、人間が造る場合は1枚ずつ型にはめて、高温で焼かなければできません。
イタリアの遺跡だけでも天文学的な数のレンガを、人間はどうして造ったでしょう?
そしてレンガで大きなアーチを造るのに、何で結合させたでしょう?
長方形のレンガを高くて完璧な、無数の円柱や波状の円柱にするのに、クレーンも何もない当時にどうしてできたでしょうか?
後ろの石柱は、イシカミの原子がクラゲのように増殖をしていって高くなった、一種のイシジンで、周りを見守っていたようです。

2009年6月4日(木)

オスティア・アンティカ遺跡のモザイク画

イシカミの原子たちが結合することで、形を表すことができますが、最初はしっかりと原子が結合をしないので、肉体ができても軽くて浮き上がったそうです。
そして風船のようにふわふわと落ち着かないので、ここのイシジンたちは、長い尻尾のようなもので木などに巻きついておちついたそうで、長い尻尾はヘビに支配されたからではないと伝えてきました。

羽のない人間が飛んでいるようなモザイク画と、全く同じ岩絵がアフリカの砂漠の中にあり学者によって「スイマー」と呼ばれているそうですが、砂漠の中に川があって泳いでいるのでなく、同じく原子の結合がゆるくて浮き上がっている姿です。
99年ごろのソラからのチャネリングで、アトランティスでは人間(イシジン)が浮き上がって移動していたと言っていましたが、イタリアの遺跡はアトランティスの文化を知らせるために残ったということとつながります。
日本での羽衣を来て飛んでいるのと同じです。

オスティア・アンティカとは
『実在したものを”押し付けて,安定して”(モザイク画として)残した』という意味の名前の遺跡です。