ソラ画像

2009年4月7日(火)

ストーンサークル

 

 

※この記事は会員用です。読者の方のホームページでも引用等はしないでください。

 

何年も前から星原のホシノミナ神社の前に始めてストーンサークルが創られ、人間が誕生したと伝えられ、そこにストーンサークルを創ってほしいとチャネリングで頼まれていましたが、いろいろな理由で不可能だと思っていました。

それができない=地球の平和が来ない、とさえも言われていて気になっていましたら、読者の方が村の神社の駐車場の創ってくださいました。
それで星原の同級生に、土地を使わしてもらったので、村の皆さんにお詫びをしてくださいと連絡すると、わざわざと恐縮するくらいでした。
年寄りばかりの過疎の土地になりかけているので、人が来てくれることは未来があってうれしいとも言ってくれました。
確かにどこも村おこしに何か一生懸命に探していることや、石だけなので駐車にも邪魔にならないと思います。

(それでもし行かれることがありましたら、小銭で良いですのでホシノミナ神社にお賽銭として入れてくださると助かります。土地代として村の人も思ってくれるでしょう。なにしろこれまでは数0円?だったそうですので)

サークルの真ん中に立っているのが細長いシリウをあらわすそうで、これが”未完のイシジン”でちょっと挨拶があり、願い事をしてくださいと(笑)。
(お知らせ参照)
これは真ん中でなく輪に並べて置いてほしいそうで又、入れ替えておきます。

向こうの右端の家が子供の家というあばら家でしたが、思ってもいないことに、向かいのキミ山が創ったと言って驚きました。
中央の一部、土の見えている小山がいて座の王と言ってきてこれにも驚きましたが、実家の裏山で柿山などがあり、その頂上からソラに向かって高速道路がある夢をみました。
その他この小さな谷はエデンの園と言ってきたのも、本当に!驚きましたが
条件は全て揃っていました。(柿がリンゴに替えられたけど)

【追記】2009年4月11日
山彦が山桜の咲く頃ヤマトのモノによって殺され、倭の国が滅ぼされましたが、今回もその子孫により中央の石は倒され、ここを追われました。
倒された石の下から、元気なタンポポが3本咲いていました。
そらのもののせめてもの応援だったそうです。
こうして見ても、真ん中の石の所にはタンポポの葉はないのですが、、、。
【2021年9月3日】
いつサークルを作って壊されたかなと、気になっていました。
激しいソラの怒りを感じていましたが、当時はここを関係あるか気づきませんでしたが、
やはり3:11の大震災はこの後、計画されたと思いました。


2009年4月4日(土)

日本一低い分水嶺2

 

ここに行った帰りに同行者のコメカミにサインがあり、ここが天の岩戸の続き?と言ってきて、それを知らせていると。

平らな倭の国の両側に、四隅のイシカミが岩戸のように降りて来た。
すなわち本州のコメカミのようにあらわしたということで、日本海側に、先日知らされた大江山の麓の天の岩戸があります。

ちなみに綾部の由良川が本流で、福知山からは武田川になっているようです。


2009年4月4日(土)

日本一低い分水嶺

 

綾部から帰りは175号線を通ってもらいました。
名前の通り高さが95mの低い分水嶺でここの雨は日本海の由良川と瀬戸内海の加古川に分かれます。


2009年4月4日(土)

ミナツキサンの行われた場所

 

倭の国の時代、ここの手前でミナツキサンが行われたそうで、何回かこの下の橋の夢を見ていて、ここにも来てほしいといってきた場所です。
シラセ橋の向こうが吉美で星原があり、キミ山が見えています。
98年に支配され、この下にジルコニアの製品を投げ捨てた場所でもあります。


2009年4月4日(土)

綾部八幡神社の巨石【2010年4月7日追記訂正】

 

綾部中学の通学路にあった神社へ行ってほしいと言うことで行きましたが、このような巨石がありました。

注連縄のぶら下がったのは、小さなイシジンを思わせます。

綾部八幡宮 聖岩由来記
口碑によれば、八幡宮山麓一帯は湖で、元の岩神さん辺りは船着場であり、・・・・
近くにやはり池があり、リュージンを切り刻みました。

2010年4月7日追記訂正
ホシノミナが一番最初に降りてきたのがこの船着場近くで、その後ミナツキサンが行われていたが、ミナシゴのイシカミが支配星に騙されてこの上に降りてきたそうです。
これまでの伝説(聖岩由来記)も支配星の神社を崇めるように巧妙に変えられています。
ホシノミナは石ナシという条件で、星原へ移動させられたそうです。