ソラ画像

2008年12月7日(日)

兵庫県姫路市、書写山の円教寺

 

小山の中腹に広場があり、このような大きな建物があります。
正面の白くて大きな石碑(3M以上)=イシジンが、作品の建物を見ています。
ここのイシカミは若者だったそうで、若者のシリウと共にこのような建物を造った(なった)そうですが、ここのイシカミが姫路城と関係があると言って来ました。
正面は博物館です。


2008年11月25日(火)

二荒山神社(宇都宮市)

 

”二(フタ)=蓋を。荒=アラ=開けることで新たなことがわかる”
という意味。
日光には巨木の杉を伝ってたくさんのリュージンが降りてきて地下にいるので、後から降りてきた男体山のイシカミが蓋で封印していることを知らせています。


2008年11月25日(火)

日光東照宮

 

↓の穴から抜け出たイシカミが、石段やこのような石像になった。


2008年11月25日(火)

長岡100穴石窟(宇都宮市)

 

ここのイシカミは男体山の分身で、日光の石像や木像になったと言ってきました。
この岩の原子が日光の石像になり、この裏は大きく窪んで孟宗竹が生えている部分のイシカミの原子が日光へ行って木造になったそうです。
日光にリュージンがいることを知らせるために、このような形で残したそうで、中には棚や稚拙な仏像らしきものがありますが、日光のは生きているような小さな石像たちです。


2008年11月25日(火)

日光東照宮

 

この建物も後から勝手に支配星が、子供のイシカミをだましていろいろな形にさせ、建物にくっついたと伝えてきました。
この地下にリュージンがいるということを知らせていますが、日光のリュージンの数は世界一でないかと思います。
木像や石像がイタリアや中国の像と似ているのは、遅くに降りてきてそれらを見て真似したそうで、そのイシジンは思わぬ所(長岡100穴石窟)のイシカミ(男体山の子供)の原子がなっていました。