ソラ画像

2007年1月8日(月)

エルハズネの横の足跡【2012年1月9日追記】

 

決して人間はこのようには足跡をつけることは出来ません。
イシジンは母体?に溶け込んだようになり、はっきりしません。
【2012年1月9日追記】
屋根の中央がなぜないのかわかりませんでしたが、エトナ山が噴火することで、噴火して飛び出したもの(ミナノコ=原子たち)がいろいろなものになったということでした。
隣の足跡は、噴火したもの(ミナノコ)が地上に降りて、いろいろなモノになったことを知らせています。
下の三角は地上を覆ったイシカミをあらわします。


2007年1月7日(日)

ヨルダン ペトラ遺跡 エルハズネ

 

この巨大な石柱、繊細な模様を人間が造ったでしょうか?
人間の大きさと見比べてください。
これだけの力作なのに、入るとがらんとした一部屋があるだけです。

学説では上から彫って下に降りてきたと伝えられていますが、隣の岩を見てもほぼ垂直です。
この部分だけ飛び出していたとしても到底岩を彫っていくのは、どれほど困難なことか、ましてや繊細な形、つるつるの円柱に彫ることができるでしょうか?
それこそノミの跡をひとつも見つけることはできません。
 


2007年1月7日(日)

イシカミの小さな分身

 


2007年1月7日(日)

高さ15mの所の土管

 

これらはイシカミのお汁が流れるように一部が土管に変形したそうで、シクの終わりに近い所では15mくらい高い所で肉眼で見えました。
学説ではナバティア人は低い水路を、ローマ人が高い所の水路を彫ったと言われています。
下に水が流れている川があるのに、ほぼ垂直の15mもの高さの岩にこのように水路を造るでしょうか?。

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さんより左横のヨルダンをクリック
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http://smilingcloud.web.fc2.com/g-jdn11.html
http://smilingcloud.web.fc2.com/g-jdn02.html
この画像でもわかるように1800年代は川が流れていました。
人間はその川の水を飲むのでわざわざこのようなものを彫らないでしょう。


2007年1月7日(日)

シクの入り口

 

ここは1800年代の絵では少しの水が流れる川のようで、2,3本の木と高い所にはアーチ状の岩が描かれています。
ここは左側しか切り込み(水路と言われている)がありませんが、この先は両側に切込みがあります。
平らな通路に整地されていますが、1800年代の絵では水が流れているのに
わざわざ両側の固い岩を3kmも削って水路にするでしょうか?